Ingenico40周年:創業間もないころ

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Ingenico創立40周年のこの機会に1974年にRoland MorenoがICカードを発明して間もない頃のIngenicoを見てみましょう。

 

50万フランと4人の従業員…

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1980年、Ingenicoはその未来がどうなるか、決済業務を革新して業界にどういう影響を与えることになるか予想していなかったかもしれません。

モデムや磁気ストライプカード、スマートカード:その創業から、弊社はあらゆる技術的な進歩のほとんどを成し、従来よりもっと効率的なPayment Terminalを提供し、非常に競争が激しい新しい市場に大きく食い込みました。

1970年代のフランスで、電子決済技術は、初期のPayment Terminalと共に登場しました。カルト・ブルー(Carte Bleue)ネットワークは、1967年にBNP、CCF、Crédit du Nord、CIC、Crédit Lyonnais、およびSociété Généraleにて設立され、もう存在していました。このカードにより提供される新しいクレジット設備は、自動化レジ装置やカードインプリンターが浸透するにつれ、徐々に小売業者やカード保持者により受け入れられました。1970年代、カルト・ブルーコンソーシアムとVisaインターナショナルとで締結された契約と、ユーロカードフランスネットワークの創設は、カードベースの決済の全国的な導入の基礎となりました。

これを背景に、1980年、ジャン・ジャック・ポワティエ (Jean-Jacques Poutrel )とミシェル・マルホウテ(Michel Malhouitre)はこのフランス法人Ingenicoを創業しました。彼らは50万フランの資金と従業員4名で始めました。最初に、この2人の男はホテル業界に自動請求システムを供給しました。このイニシアティブで得た経験を生かし、カードの磁気ストリップを読み取り、新しく装備したモデムを介してリモートでデータを送信するPayment Terminalを設計しました。カードインプリント機と煩わしい一連の手作業は置き換わりました。この効率化は、紛失や取り消されたカードからのカード番号の確認、高額の購入金額について承認センターへの問い合わせ、銀行の支店にカード購入のレシートの送付はもう必要ではなくなったことを意味しました。

端末のプロトタイプは次々と作成され、ついにIngenicoは産業革命も起こし得る最初のデバイス、 CART’EL を1982年に完成させました。これを良いものは良いものとして評価したカルト・ブルーネットワークは100台注文しました。なぜ100台だけだったのでしょう?実はこの小さなエンジニアリング会社はそれ以上の生産能力がなかったのです。その後IngenicoとCSEE シグナル・アンド・エレクトリック・エンジニアリング・カンパニー(CSEE)とのジョイントベンチャーがIngenicoの端末をライセンス生産し、Monic 1800というブランドでこの装置を販売しました。直ぐにこのモデル(2枚の木製のフランジに挟まれたメタルボディで有名でした)は数千台販売されました。

Terminaux Ingenico
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フランス国外への進出

CSEE社は、当時既に輸出市場にも進出しており、Monic 1800端末をフランス国外でも販売することに興味を持っていました。その機会は1983年に、Burroughs companyとのパートナーシップを介してやってきました。当時Burroughs companyはオーストラリアの銀行向けに電子マネーハードウェアを探していたのです。

オーストラリアとニュージーランドでの大ヒット

Monic 1800は美観の面でオーストラリア市場には合っていないと思われたので、その外見を改良する必要がありました。オーストラリアとニュージーランドでMonic 1810は、フランス同様に店舗付きガソリンスタンドのネットワークにおいて人気を博しました。バンクカードモデルも生産されました。1984年 にVisa と MasterCardのネットワークの両方のフランス支店の加盟銀行を合わせて、新しコンソーシアムが結成されました。

Ingenico Monic Payment Terminals
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1985年には、Ingenicoは新しい分野に進出しました。弊社はパリの西にあるピュトーのもっと広い建物に移転しました。また、大型小売業のような新しい市場に参入しつつ、自社の製品を直接製造し、販売するためCSEEとのジョイントベンチャーを解散しました。同年、Ingenicoはパリ株式取引所第二市場に上場しました。

大変革

多岐にわたるハードウェアを使って、新しいアドベンチャーが実行されました。そしてアプリケーションライブラリーは大幅に拡大しました。

それ以外にも、1985年は大きな技術的な変革があったとしても記憶されるでしょう。フランスの銀行は大きな決断を下し、ローランド・モレノが10年ほど前に発明した「メモリーカード」(スマートカードとも称されます)に移行しました。スマートカードを新しい決済手段として使用することを目的として、フランスの大手銀行により1980年にメモリーカードコンソーシアムが結成されました。インジェニコは、磁気ストリップだけでなくチップも読み取れる改良型端末を提案して素早く対応しました。

最初のスマートカードは1986年の時点で流通し、Ingenicoは、1985年の2月中フリースタイルスキーワールドチャンピオンシップのためにティグネスのスキーリゾートの全ての小売店に配備した時など、多数のプレゼンや試用に参加しました。1987年、パリ株式取引所に上場しているインジェニコの株式は月次清算市場に移管しました。そして何よりも、この国際的に認知されたので、断固たる合併と買収ポリシーのお膳立てが整いました。1987年、弊社の最初のオーストラリアの子会社が設立しました。

1980年代後半

Ingenicoの製品ラインアップは、低価格のいわゆる「シンプル化した」装置で強化されました。PINパッドが小売店用のキーボードを兼用した端末TMや、Minitel周辺機器としてオンラインで可動するTSMなどです。銀行カードやVisa、MasterCard、クレジットカードの数は指数関数的に増加しました。直ぐに新しいハードウェア/ソフトウェアアーキテクチャが必須になり、各タイプのカードを処理するアプリケーション同士がしっかりと重複していることを保証しました。

Ingenico Terminals
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1990年、IngenicoはEuro*mos プログラムを開始し、翌年UnicaptTMプラットホームを発売、8ビット(U8)、16ビット(U16)、そして32ビット(U32)バージョンを提供できるアーキテクチャを有する次世代製品の全てを生成するインフラを提供しました。

これからも増えていく多岐にわたるハードウェアとアプリケーションライブラリを用いて新しいアドベンチャーが進行しました。

Author

Ingenico

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